春原日記~my diary~

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父の笑顔・・・

父は看護師さんとか、滅多に来られないうちの夫とか、リハビリの先生には、すごい笑顔で答えます。しゃべれないから、笑顔で答えるのです。

でも毎日お見舞いに行っている私たちには、まったくそんな顔をみせません。そうするとだんだん、暗い気持ちになって、なんで笑ってくれへんのやろ、お見舞いに毎日言って欲しくないのかななんて気持ちになります。ついでに、私たちは「離れろ」と言われて、ちっともベッドのそばに行けません。マッサ-ジして欲しいと言ったときだけ、そばに行けます。

私はだんだん怖くなって、毎日病院に行ってもいいのかなと悩んでいたら、妹にぴしゃりと言われました。
「そんなに笑顔が見たいの?お父さんは今必死なんだよ。疲れているんだよ。だから毎日行くお母さんやお姉ちゃんに甘えて、笑顔見せないんじゃない。」


そうか、がまんしなければならない時なんだと思いました。でもね、他の人に笑顔を見せるのってうらやましいです。

毎日顔を見に行っている私たちには見せてくれないの?見たいです。はっきり言って見たいです。わたしのわがままと言われてもでもみたいです。

気管切開しているから、今ひとつ話が分からなくて、「ばか」って怒られたり、もう怒る気もなくなったのか、「もう、いい」と言葉が分からないと、もう話しても無駄だ的な態度。

母一人にはできないから、ずっと実家にかえったまま。夫に甘えたい。私もキャパないから、もう一杯なのかと思ってしまいます。

世界は厳しいよ。
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by ellie9889 | 2006-10-30 06:26 | ひとりごと・・・

日本ハムおめでとう♪ そしてその後・・・

今日は、妹(看護師)と母と私で、ソ-シャルワ-カ-の人に会ってきました。

母は本で、私はネットで勉強していたので、いろいろつっこんだ話が出来て、とても興味深かったです。

補助的な酸素供給をやめて、気管切開をやめたらなのか、いつ行くのかまだ明確ではなかったのですが、いきなり転院したいと言って、はい。どうぞと言うわけにはいかないと言うことで、脊椎損傷による身体の麻痺の専門のリハビリ病院の申込書を書きました。

その病院は、車で1時間ぐらいかかるところにある、電車とバスで2時間くらいかかるところにある、リハビリ専用の病院です。そうすると週に1度か2度しか会いに行けません。しかし近くのリハビリ科のある病院はあまりいけていないので、そこはパスしました。脊椎専門でないからです。

それから治療費の支払いについて、今後の動きの選択の仕方の説明をうけました。今のままだと、父は障害者1級に間違いなくなるので、区役所に相談すると、1円も払わなくて済むと言うことが分かりました。私は高額医療費委任払いを続けるのかと思っていたら、障害者手帳がそんなに威力のあるものだとは知りませんでした。

うちは両親が働いて、お金は長生きしたときに使おうというような取り決めをしていたらしく、今父が働けず、母も半分くらいしか働けないと、食べていくこともままなりません。私が働ければいいのですが、病気のため仕事に就けないので、ただ母のそばにいてあげることしかできません。
役立たずな自分を呪いましたが、妹に「お姉ちゃんがお母さんに付き添っていなかったら、お母さん、精神的にだめになっちゃうよ」という慰めのことばをもらったので、それを信じて家には帰らず、実家に当分残ることに決めました。夫には迷惑をかけると思いますが、夫にはまだ孝行する時間が余っていると思いますが、父や母にはそんなに長くないのではという気がしてならないのです。

ちなみに母は私の前では脳天気にしています。ちゃんと眠れているようだし、安心です。
私は父の態度にストレスを感じていて、いつでも父を思うと辛いです。心の中で辛いのは今のうちだけだからねと父に思いをおくっていますが、届かないみたいです。発信も電波弱いし、着信する方も、アンテナたっていないのかもしれません。

とにかく今辛い時期なんだと思います。これを乗り越えられれば、楽になるはずです。水戸黄門方式です。♪人生楽ありゃ、苦もあるさ♪です。

父を見ていると辛いのに、母は伴侶なだけあって、何を言われても、従順です。もし傷ついているのに頑張っているんだったら大変です。

どうして父は辛い道辛い道を選んで生きていくのでしょう。そして私は甘ったれた人生を送っているのでしょう。

昔父の首は病名がつかず、慶応病院に通っていたころですが、一度父母は霊媒師のところへ行ったそうです。父は青森出身で、集団就職で東京に出てきました。本来なら設計事務所で働くはずでしたが、何かの手違いで、おそば屋さんで働くことになりました。父は細かいことが好きなので、設計する人になりたかったのです。おそば屋のお兄さんなんて晴天の棋歴。青森に帰ろうかと思ったのですが、貧困な自分の家のことを考えるとそんなことは出来ないと、我慢して、おそば屋で働きました。父は不平不満も言わず、積極的に働いていたので、お店のオ-ナ-に認められて、20歳代後半で、母と自分のお店をもてるようになりました。青森では兄弟の末っ子でした。父親は(私から見れば祖父)は父が小学校低学年の頃亡くなり、母親が貧乏しながら、子供を育てました。

何もその霊媒師には言いませんでした。しかしその霊媒師は、「あなたのお父さんは、どぶろくをよく作った。酒好きの白い蛇がたくさんいつも集まるので、片っ端から、鎌や鉈で殺していった。その蛇の親子の呪いのせいで、あなたの首は異常な形になってしまった。末代までたたるらしい」と。
父はあまり父親の記憶がなかったので、家に帰るなりお兄さんに電話した。すると確かに畑の真ん中の小屋でどぶろくをつくり、蛇を片っ端から殺していったのは事実だと言うことが分かりました。
その霊媒師に言われたとおり、毎日神社の裏に、卵を1つ持って行って、1週間通いました。

父はそんな呪いなら、自分の代で終わらせたかったのです。

霊媒師に質問しました。「何故兄貴でなくて自分にとりついたのですか?」
「お兄さんは気性が荒いので、居心地が悪い。だから穏和なおまえについた」と。
確かにお兄さんは、勉強も出来るけれども、けんかも強くて、そこいらでは名の知れた人でした。

そんな霊媒師の話なんて信じるなんてナンセンスなのかもしれません。ただの疲労骨折のようなものだったのかもしれません。しかしなんとなくそれを信じてしまう自分がいます。

父が決着をつける気なんだと。
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by ellie9889 | 2006-10-27 15:14 | ひとりごと・・・

そして明日は・・・

突然病院から電話がかかってきました。
ソ-シャルワ-カ-の方からでした。転院などの話をしたいとのことでした。

転院?まだ救命にいるのに?

と言うことで、明日ソ-シャルワ-カ-さんに会ってきます。きっと高額医療費についてとか、障害者手帳の申請の仕方とか教えてくれるのかなと思っています。



ある時妹に言われました。
父方の母(祖母)は亡くなっているので、私たち(私と母は)は仏壇に向かって、「助けてあげて」と頼んでました。
でも妹は「父が死にたいと思うなら、楽にさせてあげてください。でも本当に生きる気があるなら助けてあげてください」と祈るべきだと言われました。

確かにそうです。父が痛くてもう生きているのが嫌だと思うなら、生きていることはすごい苦痛なはずです。私たちは辛いかもしれないけれど、死ぬことで楽になるなら、ずっと身体の悪かった父のことですから、楽にしてあげたいとも思います。だから彼の意志にそうようにと祈ることにしました。

しかし父は負けたくないと言っていたので、精一杯頑張るつもりなのでしょう。

私は何も出来ないけれども、母を一人にしておく訳にはいかないので、今実家で母と暮らしています。

どうしたらいいんでしょう。どうなるんでしょう、これから。前が見えないのに、前進しなければならない気分のようです。

ソ-シャルワ-カ-さんに会ってきます。また書いちゃいます。
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by ellie9889 | 2006-10-27 01:21 | ひとりごと・・・

手術は・・・

手術はかなりリスクの高いもので、死んでしまうかもしれないと言われていましたが、先生達の実力なのでしょうか、手術は4時間くらい、成功しました。

首の手術をしたので、かなりな痛みが起こるようで、苦しそうでした。それから痛い地獄がやって来ました。

前は少しでも話を伝えたいという状態でしたが、この頃は話が分からないと「もういい」とあっさりやめてしまう態度を取るようになりました。

手術の3日後からリハビリが始まりました。脊椎損傷したんだから、リハビリしてもどうにもならないのでは・・・とあきらめ気分な私とは違い、リハビリの先生は、少しでも手が上がるようになって、ご飯を食べられるようになりましょう・・・と軽々と言います。父も母もその言葉にすがるように、歩けるようにはならないけれど、手が使えるようになって、家に帰れるんでしょう・・・とおもっているようでした。

私は人格の変わった父は苦手で、風邪をひいたのをいいことに、面会に行っていません。

父は手術さえ終われば、妹から身体の機能はこれ以上良くならない、呼吸器がはずれるだけだ・・・と言われたけれども、もっと良くなると思っていたのでしょう。だから呼吸器は撮れたけど、補助酸素はなくならないし、リハビリで疲れるし、そんな自分が嫌なのか、手が動けば、もう少し文字表を使って気持ちも分かってあげられるのに、全然彼の気持ちが分からなくて、だからもう嫌になってきたのか、面会も話を聞く気分ではないようです。

そして病状も落ち着いてきたので、救命の大部屋に移動しました。そこはICUが天国だったと思えるほど、狭くて、環境も悪い、アラ-ム音がうるさくて、白い天井しか見えない、横には酔っぱらいのようなずっとおしゃべりをしているぼけたじいちゃんのいる、確かにそこはうざい場所でした。
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by ellie9889 | 2006-10-27 01:06 | ひとりごと・・・

手術の話は・・・

手術の話を受けました。まだ原因不明という話だったのですが、やはり脊椎損傷ということで、だから、第一頸椎と第二頸椎の間がぐらぐらしていると、脊椎をもっと損傷する可能性もあるし、呼吸器を撮るためには、それしか方法がないと言われました。

ちなみに手術をしないとどうなるかを聞いてみたら、「2,3ヶ月で亡くなるでしょう」との事でした。
うちの父は意識もしっかりしているので、家族で決めるのでなく、本人に決めてもらうしかないと医師に言われました。

父には、妹から、脊椎損傷だから、首から下全部麻痺だよということと、手術を受ければ人工呼吸器がはずれるかもしれないと説明し、父は手術を受けると決めました。

その前に、挿管だとのどを痛めるのでと、首に切れ目を入れてそこから管を入れて呼吸する、気管切開の手術をしていました。気管切開したので、まったくしゃべれなくなりました。

この頃からです。しゃべれないイライラがつのってきました。よく「ばか」と怒られました。手が動いていたら、きっと殴られていたと思います。毎日病院へ行っているのに、どうしてこんな目に遭わないといけないんだろうと思いましたが、父はもっとつらいんだろうなと、我慢しました。

なんとなくギクシャクしました。
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by ellie9889 | 2006-10-27 00:33 | ひとりごと・・・

病棟にあがりました・・・

救命のICUでだいぶ調子が良さそうだったので、整形の病棟にあがりました。

しかし、呼吸器をはずして、マスクだけだと、かなり息が吸えず苦しそうでした。

妹にどのくらい苦しいのか聞いてみたら、私はぜんそく持ちなのですが、ぜんそくの発作を起こしているときよりも苦しいと聞きました。

病棟には一晩いましたが、空気が吸えず、一晩で2回死にそうになり、すぐに救命のICUにもどりました。

そうしたら、整形の父の主治医が「手術をしたいので、お話をしたい」と言われました。救命に降りていくと、救命の先生が「あさって手術なんだって?」と聞かれました。まだ何の話も聞いていない我々は「そんなに早く?」と焦りました。

救命に戻った父は、だいぶラクになったようでした。
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by ellie9889 | 2006-10-27 00:23 | ひとりごと・・・

次の日・・・

次の日、見舞いに行くと、父は挿管されて、体中点滴だのなんだのと管だらけでした。

でも目を開けたのです。

本人は何が起きたのか、もう前日の記憶から全くなく(もっとないのかも)、挿管されているのもよく分からず、しゃべりたがりました。妹が「よくこの首で挿管できたなあ。さすが救命」と感心していました。顔色も良く、元気でした。

ただ手は動かすことができない、足も動かすことはできるけど、足をあげたり、大きく動かしたりするくらいでした。

やっぱり脊椎損傷なのかな・・・と思いましたが、手を握ると握りかえしてくるし、足も動かすし、医師はリハビリを続けたら、良くなるでしょうとコメントしていました。

救命の面会は親族だけなので(12才以上)、ジジの大好きな子供達は会えません。

でも挿管して人工呼吸器をつけているジジを見せるわけにはいきません。

それでなくても、春海はかなりのショックを受けているのですから。何かは分かっていないとは思うけれども、もしかしたらトラウマになるのかな?PTSD?

意識が戻ったことで、何が何だか分からなくなりました。
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by ellie9889 | 2006-10-27 00:07 | ひとりごと・・・

黙っていても、仕方がない・・・

人生はいろんな事があって、幸せな毎日が続くのかと思ったら、突如どん底なんてあるんだなあと感じながら、ブログでこの事を黙っていたら、全然話が進まないので、書いちゃうことにしました。
重々なので、読見たくない人は、ここでやめちゃってください。

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それは10月6日の事です。
妹が第2子を10月2日に産んだので、姪の春海の面倒もあるので、私も実家に帰っていました。
その日は雨で、春海は大好きな自転車を外で乗ることが出来ず、家の中で自転車に乗って、でも不満顔でした。
だからちょっと前に買った鍵付きの手帳の鍵をなくしてはいけないと、ジジに鍵をなくさないように、手帳に結んでもらおうと、春海と話し合って、ご機嫌取りをしました。
春海は4才で、ママも病院で、生まれて初めて、ママと離れて毎日眠っているので、ストレスがたまっているから、ご機嫌もななめなのでしょう。

父に凧糸で結んでと私が頼みました。父は凧糸とはさみを持って戻ってきました。
その時です。父が置いてあった自転車につっかかって後ろの壁に倒れました。

うちの父は、首に病気を持っていて、首の骨の第2頸骨から全部固まってくっついてしまっているのです。つまり骨と骨の間のクッションがつぶれてしまって、骨がくっついてしまい、首を回すことも動かすこともできないのです。
だからそんな父がころんだら、「死」というのが、私たちが小さい頃からの常識でした。

私と春海は父が倒れる瞬間を見ていました。私は飛んで行って、自転車をどかし、父が何かいいたそうだったので聞いてみましたが、口からはもう空気が出ていません。壁の角に頭をぶつけたようでした。119番をしながら、父をどうしたらいいのか考えました。

でもあっという間に、顔から血の気がひきました。父の気道を確保するには、首を折らないとできません。父の首をキ-プしながら、気道確保はまず無理です。呼吸停止、そして脈もふれなくなりました。私一人では(母は春海を抱いて、動揺して泣いていました)、父を動かすことも出来ないので、前の消防署から消防員を借りるようおねがいしました。首のことを説明して、とりあえず、部屋に戻り財布をとり、保険証と診察券をもらい、救急車に乗り込み、ここの辺りで一番大きい聖マリアンナ医科大学病院へいきました。

酸素を補充しながら、心臓マッサ-ジをしてくれ、血圧をはかったり、あっという間の病院でした。
受付で名前を書いて、妹も同じ病院に入院していたので、妹にもこのことを伝えてくださいと頼みました。

うちは妹夫婦は循環器医と看護師です。妹が来てくれたら、相談が出来ます。妹の旦那様は母と春海を連れて、後から来ました。

妹と私はふたりあきらめました。父は死ぬのだと覚悟しました。

夜7時前に事故が起きて、夜11時になってもまだ医師から説明がきませんでした。

父は意識がなく(一番最低)、でも足を動かしたりする。もし脊椎損傷でも、何故今意識がないのか分からない。原因不明、というのが医師の答えでした。

とりあえず救命のICUに入院しました。
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by ellie9889 | 2006-10-26 23:44 | ひとりごと・・・

ごめんなさい・・・さぼり気味で・・・

人生っていろんな事があるんですね。

しみじみ思いました。

そのせいで、更新できない。どうか少々お待ち下さい。
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by ellie9889 | 2006-10-09 22:44 | ひとりごと・・・

彼岸花だ、秋ね。

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秋が来てますね。でも私は頑張って半袖を貫く~!!!
↑     ↑     ↑     ↑    ↑
なんの意味があるのでしょう~か?

私も彼岸花のように、しつこく同じ場所から生え続けていたい。
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by ellie9889 | 2006-10-01 23:22 | ひとりごと・・・



私の毎日のちょっとした発見を書いていきます。
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